第87回アカデミー賞で4部門を受賞した、バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)を紹介する!

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この投稿を書く理由?

2015年2月に行われた第87回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を受賞したのが、バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)という長~いタイトルの映画だ。
 
アメリカの予告編で見たときから、ヘンテコな映画だなと感じていて、4月に劇場でそれを確かめた。
 
というわけで、今回の投稿は、バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)について、自分なりの考えで紹介してみたいと思う。
 
あくまで個人的な解釈なので、それが監督の意図や狙いと合っているかどうかは、まったくもってわからない。
 
作家性の強い物語というのは、作家が意識して表現していないのに、深層心理や思考みたいなのが、表現されるということがある。
 
なので、少しばかりトンチンカンなことを書くかもしれないが、そういう見方もあるのね…ぐらいのユルい感じで読んでもらえたらと思う。


映画バードマンを観た人の多くが、きっと不思議に思っただろう、主人公が超能力を使えるという設定の意味?

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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)を見ていて、もっとも気になったのが、主人公が超能力を使えるという設定だ。
 
もちろん、主人公が超能力を使えると思っているだけで、実際には幻覚や妄想にすぎないという設定なのかもしれないが、バードマンを理解するのに欠かせない設定だろうと思う。
 
超能力が使える主人公というのは、普通に考えれば、SF映画の設定だ。超能力を使えることに気づいた主人公が、悪と対決するヒーローになることもあれば、愚かな人間たちに復讐する怪物になってしまう場合もある。
 
マイケル・キートンが演じる主人公は、自分の超能力を意味のあることにまったく使わない。
 
幻覚や妄想というのは別にして、なぜ主人公が超能力を使えると思っているという設定が、映画に必要だったのだろう?
 
バードマンを見終わって、しばらく月日が流れて、僕がふと思ったのが、超能力というのは、主人公にとって自分がコントロールできる物事の象徴なのではないかという解釈だ。
 
他の言いかたをすると、主人公にとって、超能力だけが自分でコントロールできるただ1つの物事だということだ。
 
バードマンで描かれるのは、かつてバードマンというヒーローを演じて、大成功したはずが、気がつくと自分で演劇の興行をしなければ、仕事がないという、追い詰められた主人公の物語だ。

映画バードマンを、主人公の設定から逆算して振り返ってみると、こんな物語になる?

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大人になれば、誰でも自分でコントロールできることもあれば、コントロールできないこともあるということを知る。
 
コントロールできること、できないこと、コントロールしたいこと、したいけどできないこと、という点に注目して、バードマンという映画を見ると、どんな物語に見えるだろう?
 
物語の序盤、マイケル・キートンが演じる主人公は、相手役が怪我をしたので、代役を雇うこととなる。
 
やって来た代役は、ブロードウェイでお客を呼べる人気と実力を持っていて、演劇を成功させるのに最適の人物だ。
 
ところが、その代役は、演出家でもある主人公の言うことをまったく聞かない自由人だ。
 
主人公は、演劇を成功させるため、代役を受け入れざるをえないのだが、同時に演劇に関するコントロールを失ってしまう。
 
バードマンでは、他に、主人公の娘、主人公の恋人、ブロードウェイの有名批評家などが登場するのだが、主人公は、誰にも理解されず人間関係をコントロールできない。
 
詳しくは書かないが、物語が進んでいくのに従って、主人公は周囲へのコントロールを失っていく。
 
演劇の中心人物である主人公が、周囲をコントロールできなければ、演劇が大失敗しても不思議じゃない。
 
にもかかわらず、さまざまな要因が重なって、演劇は大成功しそうな方向へ進んでいく。
 
うまく皮肉を描いていると言うべきなのだろう。
 
バードマンでは、誰より主人公が演劇の大成功を望んでいるにもかかわらず、その近づきつつある大成功さえも、主人公にとってはコントロールできていないのである。

映画バードマンが描いているのは、ショービジネスの困難さであり、人間万事塞翁が馬であり、物事をなに1つコントロールできなくなった男の悲哀である?

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もしあなたが、会社の大きなプロジェクトのリーダーを任されたとして、物事がなに1つ思い通りにならなかったにもかかわらず、プロジェクトが大成功しそうになったら、どんな気持ちになるだろう?
 
僕なら、無力感にさいなまれて、プロジェクトが大成功しても、まったく喜べないだろうと思う。
 
バードマンで主人公が陥ったのが、まさにこの状態だ。
 
だから、主人公にとって超能力は、自分の能力を証明してコントロールできるただ1つことで、自分が無力感にさいなまれずに済む、精神安定剤みたいなものだ。
 
物語の終盤で、主人公が超現実的な世界にのめり込んでしまうのも、仕方がない。
 
一般的な見方をすれば、バードマンが描いているのは、ショービジネスの困難さであり、主人公の苦悩だろう。
 
全体を俯瞰してみると、人生では、なにが良いできことで、悪いできごとなのか、判別できないという意味で、人間万事塞翁が馬の世界を描いている。
 
そして、主人公の目から見ると、物事をなに1つコントロールできなくなった男が、もがき苦しんでコントロールを取り戻そうとする物語と言えるかもしれない。
 
バードマンのラストをどう解釈するか、どう考えるか、どう感じるかは、映画を見た人の数だけ答えがあるのではないかと思う。
 
どれが正解とかいうのではなく、その人の答えの中に、その人の人間観、人生観、思想があるのだろう。

まとめ

ちょっとばかりネタバレ的なことも書いてしまったけれど、僕の解釈はどんな感じだっただろう?
 
バードマンが、第87回アカデミー賞で4部門を受賞できたのも、アカデミー会員たちが、バードマンの主人公の苦悩に、共感するところが多かったからだろうと思う。
 
普段あまり映画を見ない人にとっては、バードマンはちょっと難解な映画かもしれない。
 
しかし、決して異常なことを描いているわけではなく、日常でまれに起こりそうなことの集合体であり、見方によってさまざまな物語や世界が見えてくる映画だ。
 
この投稿を読んで、バードマンを見ると、きっと新たな発見や解釈が見えてくると思うので、まだ見ていない人は、1度見てみてほしいと思う。
 
 

2015.05.21 - おの なおと


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