ラ・ラ・ランドは音楽好き必見! 夢を追いかける男女の愛を描いたミュージカル映画
目次
- ⇒ なぜ、この投稿を書こうと思ったのか?
- ⇒ ラ・ラ・ランドは、ジャズピアニストを目指すセバスチャンと、女優を目指すミアの物語?
- ⇒ ラ・ラ・ランドで観客を圧倒する、とてつもなく撮影が大変だったであろうミュージカル場面とは?
- ⇒ ラ・ラ・ランドで使われている楽曲の紹介? ※ ネタバレ注意!
- ⇒ ラ・ラ・ランドと、ありふれた夢追い人のジレンマ? ※ ネタバレ注意!
- ⇒ ラ・ラ・ランドの最高の見せ場は、2人の出会い、夢追い人の決意、2人が夢を夢見た瞬間のミュージカル場面! ※ ネタバレ注意!
- ⇒ ラ・ラ・ランドは、最後の2人の決断をどう感じたかで、映画の評価が大きく分かれる? ※ ネタバレ注意!
- ⇒ 最後に...
なぜ、この投稿を書こうと思ったのか?
ラ・ラ・ランド、公開されてすぐに見たのだけど、個人的には見所にあふれた素晴らしい映画だった。だったのだけど、しばらくすると、ラ・ラ・ランドに賛否の声があるらしいという情報を知って、ちょっと驚いた。工夫を凝らしたミュージカル場面、ちょっと古い感じの楽曲の数々、主人公2人の演技と物語、どれもが素晴らしかった。
賛否の声があるらしいという情報を知ったとき、正直、賛否についてあれこれ書いて投稿するのは嫌だなと思った。というのも、賛否の声を調べて、自分はあの意見は理解できるけど、あそこの意見には否定的だな...みたいな感じになるのが嫌だったからだ。面倒だし、巻き込まれるのも嫌だったから、何も調べず書かないつもりでいた。
ある時、ふと思った。賛否の声なんて関係なく、自分が感じたこと、思ったこと、考えたことを、いつものように書いて投稿すれば、それで良いのではないか? それなら、ラ・ラ・ランドについて書きたいことがたくさんある! というわけで、ラ・ラ・ランドについて、僕なりの感覚やら考えなどを、徹底的に書くことにした。
ちなみに、途中から物語についてネタバレしているところがあるので、まだ映画を見ていない人は気をつけてほしい。その章については、タイトルの下に「※ネタバレ注意」の一行を加えているので、注意してほしい。
ラ・ラ・ランドは、ジャズピアニストを目指すセバスチャンと、女優を目指すミアの物語?
ラ・ラ・ランドの物語や設定について、簡単に触れておこう。
ラ・ラ・ランドは、ジャズピアニストを目指すセバスチャン(以後は愛称のセブとする)と、女優を目指すミアの物語だ。セブとミアの2人が主人公であり、もちろん他にも登場人物はいるのだが、2人の夢と関係性が物語の大きな軸となっている。
セブは、ジャズピアニストとして優れた実力を持っているにもかかわらず、その実力を発揮する場所がなくて苦しんでいる男だ。セブは、かつて1940〜50年代にかけてジャズがもっとも熱かった時代に憧れ、自分もそんな熱いジャズを演奏したいと願っている。セブは自分が愛するものに忠実な男であり、それだけを追い求めるあまり、現実と歯車がうまく噛み合っていない。
ミアは、ハリウッドの撮影所内にあるコーヒーショップでアルバイトをしながら、女優を目指してオーディションを受け続けている女性だ。オーディションを受けるたびに、不運なことが起こってしまい、誰からも演技力を認められていない存在だ。人生をかけて夢を追いつづけた叔母に強く影響されて、自分も夢をまっすぐ追いかけている。
セブとミアはあるジャズ・レストランで出会い、そこから物語が大きく動きだす。
ラ・ラ・ランドで、セブを演じるライアン・ゴズリングは、ちょい垂れ目な優男風の俳優さんだ。僕が初めてライアン・ゴズリングという俳優さん、カッコいいなと感じたのが、2012年に日本で公開されたドライブ(Drive)という映画でだった。弱さと強さ、優しさと孤独をうまく表現していて、その時から大好きな俳優さんだ。ラ・ラ・ランドでも、情熱と孤独、愛と意思の強さをうまく表現していて、ピアノとダンス、ともに素晴らしかった!
ラ・ラ・ランドで、ミアを演じるエマ・ストーンは、大きな目が特徴的な女優さんだ。僕が初めてエマ・ストーンが主演する映画を見たのは、日本で2012年に公開されたヘルプ ~心がつなぐストーリー~という映画だった。南部の閉鎖的な白人社会で、自分を育ててくれた黒人メイドさんたちのために、一人で戦いはじめる姿を、ユーモア、愛、意思の強さを表現しながら演じていて、素晴らしかった。ラ・ラ・ランドでの演技、ミュージカル場面、ともに素晴らしかった!
ラ・ラ・ランドで観客を圧倒する、とてつもなく撮影が大変だったであろうミュージカル場面とは?
映画って、たくさんの人間のエネルギーを結集させて創るもので、ドラゴンボールに登場した必殺技の元気玉みたいに、エネルギーが集まれば集まるほど、すごい映像が生まれる。映画史を振り返ると、七人の侍であれ、マッドマックスであれ、タイタニックであれ、マトリックスであれ、伝説となるような圧倒的な映像表現には、制作チームの圧倒的な労力とエネルギーの結集があった。
ラ・ラ・ランドにも、そんな伝説となるような圧倒的なミュージカル場面があって、それが僕の胸を熱くした。というのも、映画というのは舞台とは違って、カットを入れることで、何度も撮影したり編集したりできるもので、カットを入れて時間を編集することが映画の大きな魅力である。
ところが、ラ・ラ・ランドにはカットを入れずに、長回し撮影で完成させているミュージカル場面がいくつかあって、それが圧倒的な迫力と緊張感を生み出していた。長回し撮影ということは、登場する俳優やダンサーはもちろん、すべてのスタッフが一度でもミスをすると、最初からすべて撮影をやり直す必要がある。入念な準備とテストを何度も繰り返して、初めて成功するのが長回し撮影なのである。
ラ・ラ・ランドで長回し撮影が使われていたのは、映画の冒頭ハイウェイ上で渋滞に巻きこまれてしまった運転手たちが踊りだす場面と、セブとミアがパーティーの帰りに、丘を下りながらダンスで意気投合してしまう場面だ。
冒頭のハイウェイ上の場面では、ダンサーの踊りだけでなく、登場する人の数、カメラの動き、場面の展開なども多くて、これだけのミュージカル場面を撮影できたこと自体、奇跡みたいなものだと感じた。公式サイトのProduction Notesによると、準備だけで3ヶ月が必要だったそうで、観客をラ・ラ・ランドの世界に引きこむ最高の場面になっていた。
セブとミアが意気投合してしまう場面では、丘の上からロサンゼルスの街並みを見下ろすことができる道路の上で、セブとミアがタップダンスを踊り始める。ダンスに詳しいわけではないが、ミュージカルのダンスで重要なのは、振り付けが合っているかどうかよりも、登場人物の感情がダンスを通じてうまく表現されているかどうかだと思う。
丘の上の場面では、ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンの感情表現が素晴らしくて、反発的な感情抱いていた2人が、タップダンスを通じて自然と意気投合していく姿が、見事に表現されていた。
それから、この場面でもう1つスゴいなと感じたのが、ミュージカル場面を撮影していた時間帯だ。映画をよく知る人なら聞いたことがあるかもしれないが、この場面が撮影されたのはマジックアワーと呼ばれる時間帯だ。太陽が地平線に沈んでから、完全なる暗闇になるまでの時間帯のことで、太陽の光がうっすらと残っている。
この場面では、その時間帯を狙って長回し撮影が行われていて、丘の稜線や街並みが見えるのと同時に、夜の翳りも感じることができる、とても美しいミュージカル場面となっている。マジックアワーは1日に十数分しか存在しないので、そこにすべてを合わせて撮影するのは、至難の技だっただろう。
ラ・ラ・ランドの長回しミュージカル場面は、撮影できただけで奇跡みたいな、映画史に残るミュージカル場面だった。そんな場面を堪能できるだけでも、ラ・ラ・ランドを見る価値があったと感じたのは、僕だけだっただろうか?
ラ・ラ・ランドで使われている楽曲の紹介?
※ ネタバレ注意!
ここでは、ラ・ラ・ランドのSoundtrackに収録されている全曲を紹介するとともに、その楽曲がラ・ラ・ランドのどの場面で使われていたのかも書いていく。全曲について書くので、物語の後半、終盤の曲についても書くので、どうしてもネタバレしてしまう箇所が出てくる。なので、ネタバレが困るという人は、ぜひ遠慮してほしい。
1. Another Day of Sun
La La Land Cast
映画の冒頭で、ハイウェイ上で渋滞に巻きこまれてしまった運転手たちが踊りだすミュージカル場面で使われている楽曲。ロサンゼルスがどんな街なのか、どんな世界なのか、ラ・ラ・ランドの世界観を見事に表現した楽曲である。
2. Someone In the Crowd
エマ・ストーン、キャリー・ヘルナンデス、Sonoya Mizuno & Jessica Rothe
オーディションで失敗して落ち込んでいたミアを、ルームメイトの女3人が元気づけようと、パーティーへ誘う場面で使われている楽曲。気合いを入れてパーティーへ行こうとする、女子たちの意気込みがうまく表現されている。
3. Mia & Sebastian's Theme
Justin Hurwitz
帰宅に使うはずの車がレッカーされてしまい、ミアが歩いて帰宅していると、とあるレストランの中から聞こえてきた楽曲。セブが演奏しているオリジナルの曲という設定で、切なさと孤独、感情の高ぶりを表現していて、ラ・ラ・ランドの中でたびたび使われるメロディーである。
4. A Lovely Night
ライアン・ゴズリング & エマ・ストーン
セブとミアが再開したパーティーの帰り、駐車している車を探して丘を下っている最中に、2人がタップダンスを踊り始める場面で使われている楽曲。最初は反発していたはずの2人が、言葉の掛け合い、タップダンスの掛け合いをしていくうちに、自然と意気投合していくのが愛らしい。
5. Herman's Habit
Justin Hurwitz
セブがミアにジャズの魅力と情熱を伝えようとして、ジャズバーへ連れていき、そこで演奏されている楽曲。映画では、楽曲に合わせてセブの言葉としてジャズの魅力が語られていて、ジャズを知らない人にとっても理解しやすい。
6. City of Stars (Pier)
ライアン・ゴズリング
セブが1人で桟橋を歩きながら、口笛を吹く場面で使われている楽曲。ミアのことを好きになったセブの感情が表現されている場面で、この場面もマジックアワーに撮影されていて、美しさと情緒にあふれている。
7. Planetarium
Justin Hurwitz
セブとミアが初めて映画デートをするはずが、映画が途中で見られなくなってしまい、その映画に登場していたグリフィス天文台へ行くことにする。グリフィス天文台のプラネタリウムで、セブとミアが夢の世界で踊りはじめる場面で使われている楽曲。
8. Summer Montage / Madeline
Justin Hurwitz
この楽曲はちょっと記憶が曖昧なのだが、セブとミアが頻繁にデートを重ねるようになった様子を、複数のカットでテンポ良く見せていく場面で使われていた気がする。ラ・ラ・ランドのレンタルが始まったら、改めて見て確認して、追記か修正をしたいと思う。
9. City of Stars
ライアン・ゴズリング & エマ・ストーン
この楽曲もちょっと記憶が曖昧なのだが、同棲生活をするようになったセブとミアが、夕食を囲んでいる場面で使われていた気がする。セブとミアの愛は強くなったが、同時に新たな展開が生まれる直前のところで、2人の愛と微かな切なさが感じられる曲になっている。
10. Start a Fire
ジョン・レジェンド
セブは、ミアとの貧しい生活から抜け出すために、友達に誘われていたバンドに参加する。その友達というのが、本当にアーティストとして活躍しているジョン・レジェンドで、そのバンドのライブ場面で使われているのがこの楽曲。この場面で、ミアは、バンドのおかげで収入が増えたことよりも、セブが本当にやりたい夢から離れた演奏をしているのを知り、大きく悲しむ。
11. Engagement Party
Justin Hurwitz
バンドの中心であるジョン・レジェンドの結婚パーティーの場面で、セブがピアノ演奏している楽曲。この場面では、セブとミアの関係に亀裂が入りはじめていて、結婚パーティーであるにもかかわらず、どこか悲しげな楽曲となっている。
12. Audition
エマ・ストーン
ミアが自分の演技を評価してくれる人のオーディションへ行き、そこで自由に自分のことを話してほしいと言われて、大きく影響を受けた叔母さんのことを話すところで使われている楽曲。ミアの叔母さんが、周囲からバカにされても、自分の求めていることを懸命に追いかける夢追い人だったこと、夢追い人の愚かさや挑戦にささやかな祝福を与えてほしいという歌詞になっていて、ラ・ラ・ランドのテーマを歌っている。
13. Epilogue
Justin Hurwitz
ミアがセブと偶然再開して、セブが1人でピアノを弾きはじめる場面で使われている楽曲。ピアノの演奏が行われている間だけ、ミアもセブも2人の出会いからを思い出して、2人だけの夢の世界を夢見る。華やかな夢の世界と、夢と現実のギャップ、切ない感情を見事に表現している曲となっている。
14. The End
Justin Hurwitz
ラ・ラ・ランドの最後、The Endのマークが登場する時に使われている楽曲。ラ・ラ・ランドでは、時代設定は現代なのに、どこか古めかしい表現や世界観が大切にされていて、The Endが出るところにも、その古めかしさがあふれている。
15. City of Stars (Humming)
Justin Hurwitz
ラ・ラ・ランドのエンドロールで使われている楽曲。エマ・ストーンが演じるミアが、セブの曲をハミングしていて、切ない感情が込み上げてくる。映画において、エンドロールの余韻って大切だと思うけど、それがうまく表現されている曲。
ラ・ラ・ランドのSoundtrackは、よく知られている音楽系サービスであれば、だいたいのところでストリーミング配信していたり、ダウンロード販売している。楽曲だけでも素晴らしいので、映画をすでに見た人も、これから見る人も、ぜひとも聴いてほしい。音楽好きにとっては、たまらない楽曲ばかりである。
ラ・ラ・ランドと、ありふれた夢追い人のジレンマ?
※ ネタバレ注意!
ラ・ラ・ランドは、世界中の音楽、演劇、小説、映画などでたびたびテーマとして描かれている、夢追い人のジレンマを描いている。夢追い人のジレンマは、夢を追いかける恋人の間に起こるジレンマ(ある問題に対して2つの選択肢があって、どちらを選んでも不利益が起こる状況や状態のこと)で、今日この瞬間も、世界中のさまざまな人が夢追い人のジレンマに陥っている。
夢追い人のジレンマには、大きく分けて2つの形がある。
- 恋人の両方が夢を追いかけている。
- 恋人の片方が夢を追いかけている。
ラ・ラ・ランドの場合、セブは自分もピアノ演奏できて、かつての熱いジャズを聴くことができる自分のお店を開きたいという夢を持っていて、ミアは女優として認められて、映画やドラマで活躍したいという夢を持っている。なので、僕の分類によると1.の恋人の両方が夢を追いかけているという形になる。
現実世界であれ、創作の世界であれ、夢追い人のジレンマは、夢を懸命に追いかけている間は、あまり発生しない。逆にいうと、なにかのきっかけがあってジレンマが起こるわけで、どんなきっかけかというと、だいたい次の3つになる。
- 夢が実現しはじめた時。
- 夢を諦めようとした時。
- 恋人との幸せを求めはじめた時。
ラ・ラ・ランドでは、ジャズについて熱く語っていたセブが、夢を実現させるためにはお金が必要で、そのお金を得るためには、B. 夢を諦めざるをえないというジレンマに陥ってしまう。結局、セブはお金を得るために、友達のバンドに参加して、自分が求めていない音楽を演奏することで、お金を稼げるようになる。そして、それが理由となって、ミアとの間に心の亀裂が生じてしまう。
ラ・ラ・ランドでは、ミアも夢追い人のジレンマに陥ってしまう。せっかく自力で開催した演劇公演が不調で、心ない人の言葉に胸を痛めて、夢を諦めてセブとも別れてしまう。ミアが自力で開催した演劇公演は、結果として女優としての可能性を開くチャンスへ繋がるのだが、セブもミアも夢を実現することの困難さを身にしみて理解することとなる。
物語の終盤、2人が陥った夢追い人のジレンマが、セブとミアに重大な決断をさせることとなる。セブとミアは、お互いがもっとも夢を実現させやすい場所で、別々に夢を追いかける決断をする。現実世界を生きている多くの夢追い人からすると、夢を実現させられる可能性があるだけ、セブとミアの状況はまだ良い方なのかもしれない。
現実世界を生きている多くの夢追い人は、B. 夢を諦めようとしてジレンマに陥り、完全に夢を諦めて、別の道を選ぶことでジレンマから解放されるからだ。
ラ・ラ・ランドの最高の見せ場は、2人の出会い、夢追い人の決意、2人が夢を夢見た瞬間のミュージカル場面!
※ ネタバレ注意!
ラ・ラ・ランドの数ある場面の中で、僕の心に強く訴えかけてきたのが、セブとミアがタップダンスで自然と意気投合した場面、ミアがオーディションで夢追い人だった叔母さんのことを歌った場面、ミアがセブと再会してピアノで一曲演奏されている間だけ、夢を夢見たミュージカル場面、その3つだった。
セブとミアがタップダンスで自然と意気投合した場面は、どうしても惹かれてしまう人の存在とか、ふとしたことから思わず意気投合してしまう恋愛でよくある瞬間を、1つの場面としてうまく表現していた。上のほうの章でも書いたように、映像美、2人の感情、ミュージカルとしてのおもしろさ、すべてが素晴らしくて心ときめいた。
ミアがオーディションで夢追い人だった叔母さんのことを歌った場面は、ラ・ラ・ランドを貫いている大きなテーマについて、最高の方法で表現した場面だった。夢追い人は、一般的な普通の人生を選んだ人たちから、笑われたりバカにされたりしながら、貧困や挫折に苦しみながら、自分を信じて自分の道を進もうとする人間のことだ。
ミアの歌には、その愚かさこそが夢追い人の夢追い人たる理由であって、それを笑ったりバカにしたりするのではなく、少しだけでいいから讃えてほしいという願いが込められている。物語の舞台となるロサンゼルスは、そんな愚かさにあふれた人間が集まってくる場所であり、ラ・ラ・ランドが描こうとしたのは、ジレンマを抱えながら懸命に夢を追いかけたセブとミアの姿であり、それが僕の胸に強く訴えかけてきた。
ミアがセブと再会してピアノで一曲演奏されている間だけ、夢を夢見たミュージカル場面は、もしかしたら賛否が別れてしまう場面なのかもしれない。この場面では、2人が出会った瞬間からのエピソードが、夢のように最高の形で表現されていく。セブとミアの夢がどんどん実現していき、2人は別れることなく幸せな人生を生きる。
もしかしたらこの場面を見て、セブとミアが別々の道を生きると決断したことを、大きく後悔していると感じた人もいるかもしれない。僕は、そうは感じなかった。というのも、夢を実現させるために何かの選択をしたということは、他の無数の選択をしなかったということであり、すべてを選択するということは不可能だ。あるところで成功して、あるところで失敗して、あるところで諦めてというふうに、夢と現実の着地点は、人によってさまざまだ。
セブのピアノ演奏に合わせて2人が見た夢は、すべての出来事が最高の形で実現するという夢の世界の出来事だ。セブにとってミアが、ミアにとってセブが、自分が夢を実現させるきっかけとなる大切な人だったという確かな確信があって、初めて夢見ることができる夢なのだ。だから、僕はすごくロマンティックな場面だと感じた。
どんなにすごい夢を実現させた人でも、心の中にそんな大切な人の存在が1つや2つはあるはずで、過ぎ去った別れや悲しみや苦しみを抱えながら、現実と闘っている。
ラ・ラ・ランドは、最後の2人の決断をどう感じたかで、映画の評価が大きく分かれる?
※ ネタバレ注意!
もし、あなたがダンスが大好きで熱中していたとして、ダンス経験がない人に、ダンスをさせずにその魅力やおもしろさを伝えることって可能なのだろうか? さらには、ダンスをする難しさや困難について、ダンス経験がない人にダンスをさせずに理解してもらうことは可能なのだろうか?
僕は、非常に困難だと思っている。もちろん、ダンスではないけれど、他のスポーツに熱中している人であれば、かなりの部分で伝わるし、かなり理解してもらえるだろう。最初にダンスと限定したから話が複雑になってしまったが、安定を求める普通の人に、夢追い人のことがどれだけ理解できるのだろうか?
ラ・ラ・ランドで物語の中心となるセブとミアは、懸命に夢を追いかけている人であり、ラ・ラ・ランドは夢追い人による夢追い人のための映画だ。だとしたら、夢追い人ではない、安定を求める普通の人は、ラ・ラ・ランドという映画を見て、セブとミアの感情を理解したり共感したりできるのだろうか?
ラ・ラ・ランドの賛否について、僕はまったく調べることなく、ここまでの投稿を書いてきた。そして、書きながらラ・ラ・ランドの評価の分かれ目というのは、その人が夢追い人だったか、安定を求める普通の人だったかの違いに、結局のところ帰結するのではないだろうかという考えを持った。
これは、夢追い人が良くて、安定を求める普通の人が良くないという話ではない。海水でしか生きられない魚と、淡水でしか生きられない魚の違いみたいなもので、どちらも人間社会には必要だし、だからといって、それだけで偉いというわけでもない。ただ、その間にある違いが実はけっこう大きくて、お互いを理解したり共感したりするのが難しいというだけのことだ。
正直なところ、あなたはラ・ラ・ランドを見て、どう感じただろう?
ラ・ラ・ランドは、あなたが何を求めてどんな人生を生きてきたのか、それがそのまま評価として現れてしまう映画なのかもしれない。
最後に...
あれやこれやと熱く厚く書いてきたが、1人でも多くの人がラ・ラ・ランドを観てくれるなら、個人的にはそれが最高である。ラ・ラ・ランドが歴史に残るミュージカル映画となることは間違いないし、セブとミアのダンスと物語がずっと心に残るという人も、たくさん現れるだろう。
『ラ・ラ・ランド』本予告 - YouTube
最後に、第89回アカデミー賞(2017年2月に発表)でラ・ラ・ランドが6部門を受賞したとのことなので、それを紹介しておきたい。
- 監督賞 : デイミアン・チャゼル
- 主演女優賞 : エマ・ストーン
- 撮影賞 : リヌス・サンドグレン
- 美術賞
- 作曲賞 : ジャスティン・ハーウィッツ
- 主題歌賞 : City of Stars
個人的には、ライアン・ゴズリングの演技やピアノ演奏も素晴らしかったのだが、エマ・ストーンと比べると、やはり彼女のほうがスゴかった気がする。それから、撮影賞、作曲賞、主題歌賞に関しては、ラ・ラ・ランドが受賞にふさわしかったと思う。作品賞を逃したのが残念だが、確かに脚本とか作品という観点で見ると、ラ・ラ・ランドはそこまで高度ではなかったかもしれない。
ちなみに、ラ・ラ・ランドを監督したデイミアン・チャゼル(受賞当時32歳)、これからが楽しみな監督が出てきたもので、今から次回作が楽しみである。
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